若宮八幡神社

西嶋の文化財③/Cultural properties

   「若宮八幡神社」町指定有形文化財

本 殿 町指定 昭和39年6月21日

祭神は仁徳天皇で、本殿は文亀2年(1502)の創建と伝えられる。文政2年(1819)西島大火の際焼失したものを、同11年に現在の社殿に再建した。現本殿は天保2年(1831)再建、この造営には、下山の工匠・石川七郎右衛門重甫、村棟梁の笠井定八郎があたった。再建当時の図面は今も西伝家に所蔵されている。

本殿は一間社流れ造り、銅葺き屋根(明治11年改修)で、正面は登勾欄つき木階六段を設け、廻りは擬宝珠勾欄を設け、左右ともに脇障子が取りつけられている。両側には秣褐魚(ばつかつぎょ).鳴吻(めいふん)竜各二筒の彫刻と本殿塀の両側には、高さ一㍍の登り竜、正面の向拝には幅 一.八㍍の竜の彫刻等、本遺構には彫刻が多く、幕末期の傾向を示す好例と言われる。彫刻はすべて石川七郎右衛門の作である。平成二年拝殿・社務所・及び宝物庫改築。

【一間社(いっけんしゃ)】神社本殿で、正面の柱間が一つのもの。 【流れ造り(ながれづくり)】神社建築の一形式。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい,庇(ひさし)と母屋が同じ流れで葺(ふ)いてあるのでこの名がある。奈良時代末〜平安時代に成立 し,広く各地に流布した。 【勾欄(こうらん)】欄干(らんかん)・てすり。橋・縁側などのふちに、人が落ちないように縦横にわたした木。 【木階(きざはし)】階段のこと 【擬宝珠(ぎぼし)】手すりや橋のらんかんに飾りとしてつける、ネギの花の形をしたもの。 【向拝 (こうはい) 】社寺の堂や社殿の正面階段上にふきおろしの屋根,ひさしをつけたところ。ここで参詣者が礼拝する。

随神門・木造神像 町指定昭和44年8月28日

本殿・幣殿・拝殿・参道を結ぶ一直線上に立ち、左右に神社を守護する兵仗を帯びた門守神(かどもりがみ)を安置した門である。天保14年(1843)頃の建築と推定される。本殿を建築した当地の笠井定八郎が監督し、二世定八郎が建築したものであるという記録が残されている。三間一戸の八脚門で、切妻造。柱はすべて方柱である。

左右の格子の中に神像が安置されている。この神像は、黒岩間戸命・奇磐間戸命の二神であるといわれ、神社を守護する門守神(かどもりがみ)の一種で、寺院の仁王門と同じ用例である。向かって右が左近衛大将、左が右近衛中将。また右大臣(矢大臣)・左大臣ともいわれる。杉材の寄木造、玉眼が入り、等身大で腰掛けている。平安時代の随身の服装をし、共に弓矢、刀を持つ。彩色は大分色あせているが、向かって右が赤、左が青である。右の像の目が柔和であごひにひげをつけている。江戸時代の中期の造像とみられ、作者は嘉之助と伝わる。

【兵仗(ひょうじょう)】武器を持った武官である随身 (ずいじん) 内舎人 (うどねり) などの称。 【随身(ずいじん)】神社の左右の神門に安置される守護神。 【三間一戸(さんげんいっこ)】楼門や二重門の規模を示すもので、間口が三間で中央間を戸口とした門のこと。扉構えの有無に係わりない。 【八脚門(やつあしもん)】門の形式。一重の門で、本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本あるものをいう。大寺院や宮城の門に用いられる。東大寺転害門が代表例。はっきゃくもん。 【切妻造(きりづまづくり)】屋根形式の一つ。屋根をから両側へふきおろし、その両端を棟と直角に切ったもの。ちょうど本を開いて伏せたような形で、世界各地に広く分布する基本的な形式。 【方柱(ほうちゅう)】四角の柱。

大ケヤキ 町指定昭和44年8月28日

目通り幹囲4.2m 樹高20.0m

ケヤキはニレ科の落葉高木。ケヤキの材は堅く、木目の美しい樹木でである。際立って美しいという意味の「けやけし」に由来し、「けやけき木」の略と考えられる。当社のケヤキは、社務所脇にあって創建当時(文亀2年・1502)に植えられたものと伝わる。過去の災害で根本が3m位地下に埋没しているそうである。古くから地元で大事にされており、強風で主枝が折れたりしながら、なお勢いを復活してたくましく生きている。そういうところに、古木のケヤキの魅力を感じずにはいられない。

(用語説明)【目通り幹囲 (めどおりかんい)】人間の目の高さで計る、樹木幹囲

 

(引用・参考文献)身延町教育委員会文化財案内掲示板、中富町誌第9編第4章有形無形文化財1450頁、西島の今昔27頁~28頁