巫女の舞が終わり休憩のひととき(区民体育祭 昭和47年11月)
笠井一平氏提供
笠井一平氏提供
区民体育祭で巫女舞を披露する女子を撮影。巫女舞の演目は「豊年瑞穂の舞」。神楽団員たちが歌う数え歌に合わせて巫女達は舞う。右手に鈴、左手に扇を持ち、千早に緋袴姿(ひばかま)の4人の女子。見物席は人で鈴なりの様子。娯楽の少な...
32年運動会 娯楽が無かったころ運動会は祭りと並ぶ一大イベント。前日にはムシロを持って場所取りだ。当日朝は昼飯の赤飯を炊いて見物席へ。皆うちに帰らずその場で昼飯。「おごっそう」が待ち遠しかった。部落対抗の年代別リレー競争...
笠井達夫氏提供
笠井達夫氏提供 多分上墓地へ行く坂道から撮影したもの。左に旧小学校、右に旧公民館(のちに保育園)が見える。当時、周囲の山は、今のように木々が繁茂していなかった。全体を見渡すことができた。わらぶき屋根も散見される。
笠井達夫氏提供
1961.10 現在の「わら工場」付近にあった高い山から撮ったもの。月見橋は昭和2年に近代的な永久橋として完工したが、昭和57年の台風により倒壊。県下初の永久トラスト橋として52年間の幕を閉じた。向かいの楠甫にあった堤防...
笠井達夫氏提供 旧国道はまだ舗装されていない。車の数もまばらだった。このころの「かにや橋」は木製であったかもしれない。車が通ればほこりだらけだ。排気ガスの匂いがなつかしい。撮影場所は現在の「わら工場」付近。当時はいまのよ...
笠井一平氏提供